私が好きなこの一本

大林宣彦
 日本での初公開も、本国アメリカ同様、'72年。大林宣彦監督は、いまはなき新宿プラザ劇場('66~'08)でデスメンション150方式という巨大スクリーンに画面天地をカットして拡大上映されたとき(この映画のオリジナルは古典的なスタンダードサイズである)に出逢って以来、実に40年ぶりにブルーレイで『ゴッドファーザー』に再会
した。

「おそらく『ゴッドファーザー』の時代っていうのは、ハリウッド映画が“かつてのハリウッド映画”であった最後の時代ですよ。テレビの影響で映画は60年代からどんどん変わっていった。僕たちにとってのハリウッド映画は50年代までで、70年代になったら、もうあまり映画を観なくなっちゃったという世代ですから。その最後がこの『ゴッドファーザー』でね。しかもテレビに押されて(対抗する意味で、極端に)巨大スクリーンになっていって、大画面に観客が飲み込まれて大興奮するという。あの頃、映画を観るときは(劇場の)観客はだいたい1500人くらいでした。いまみたいに100人とか、せいぜい400人とかで観ることはなかった。大衆娯楽の映画は1500人ぐらいで観るものだったんです。そういう時代は『PARTⅠ』が最後でしたね。『PARTⅡ』からはミニシアターの時代になっている。『風と共に去りぬ』で完成した――予定調和としての最終完成形ですね――ハリウッド映画が『ゴッドファーザー』の巨大スクリーンでトドメを刺されたというね。『ベン・ハー』的な大スクリーンを大勢で観るワクワク感の最後の映画だと思います」

『ゴッドファーザー』が名作になった要因。それは、そもそもの企画のあり方にもある、と指摘する。
「そもそもの企画はゾッキ(=「見切り」の俗語)映画でしょ。あの時代のゾッキ映画の走りは『ある愛の詩』('70)。つまり原作(小説)が売れてる間にさっさと映画を作ってしまえ、というやり方。かつて原作映画といえば、昔の小説をいま映画で観る、というものだったんですよ。そういう意味では、『ゴッドファーザー』も『ある愛の詩』程度にヒットすればよかった。だから、当初は『小味なギャング映画の1本でも。原作も売れているし』という程度の企画だったんですよね。でも、そういう企画だったからこそ、若くて元気そうなコッポラが起用された。プロデューサーにしてみれば、まあ、使いやすいだろう、ぐらいのことだったんでしょう。当時、優秀な監督はみんな、この映画のオファーを受けていて。それで断ってるんです。チャチなゾッキ映画ですから。ところが、コッポラはプロデューサーたちが願ったセックスと暴力をやめて、むしろ世代交代の物語にした。ちょうど(映画業界内でも)世代交代が言われている時期。コッポラが映画監督として(前線に)出ていくためにも、前の世代と喧嘩をしないで交代していくというね。もう僕の時代なんだよ、先輩たち、と。そんなことをコッポラは考えていたんでしょうね」

 

 そして、キャスティング。それまでのハリウッド映画では「見慣れない顔」がたくさんあった。
「主演も当初はロバート・レッドフォードだったそうですね。原作(マリオ・プーゾが'69年に発表)も金髪なんだそうですよ。ハリウッドの理想のままにやったら、レッドフォードだったんでしょう。それがアル・パチーノだから。彼のように小柄な役者が主役をやるなんてことは、信じられないことであって。しかも猫背で(顔つきが)暗くて。美男子ではあるけど、いわゆるハンサムではないよね。当時は僕も思いましたよ、この人を3時間近くも観るのかい?って(笑)」

 ジョン・カザールはもちろん、ジェームズ・カーンもロバート・デュバルもここまで大化けするとは思わなかったという。そして、当時、落ち目と言われていたマーロン・ブランドの圧倒的存在感。
「いま観ると、ブランドの出番って少ないでしょ。アタマちらっと、終わりちらっと。でも、全編支えてるんですよね。これはブランドの存在感というだけではなくて、ファミリーの映画だから、お父さんの存在がすべての人物に影を落としているんです。ジェームズ・カーンを見ても、アル・パチーノを見ても、ジョン・カザールを見ても、やっぱりそこにマーロン・ブランドを見てるんですよね。このへんが映画というものの、いわゆる感情移入させる面白さで。これが(コッポラが映画を)ファミリーでくくったことの大きな成功だっただろうと思うんです」
 もうひとつ、重要な起用があった。それこそが『ゴッドファーザー』の独自性だったと大林監督は振り返る。

「落ち目のブランドに、あとは、まだスターでもなんでもない、チンピラばかりでしょ。なのに映画が風格を持ったのは、『大砂塵』('54)や『現金に身体を張れ』('55)のスターリング・ヘイドンが出ているからですよ。彼が警部役でちょっと出てきて、額の真ん中に穴を開けられて死んじゃうなんてシーンは、日本で言えば、『仁義なき戦い』の菅原文太さんが頭打ち抜かれて死んじゃう、みたいなこと。そういうシーンを撮っちゃった、っていうことが、この映画の凄さ。これはまさに“世代交代”という意図もあったでしょう。前の時代のスターを、息子の世代があんなふうに殺してしまうわけですから。またヘイドンの死に方もよかったんですよ。オレみたいなスターがこんな死に方しなきゃならんの?というようなスター自身の戸惑いもあそこにはある。こんな役、やるはずじゃなかったよ、オレの人生では、という。これがね、虚実の皮膜の面白さでね。僕がいちばん憶えているのは、あのシーンですね」

 大林監督は、コッポラの編集技も同業者の観点から賞賛する。
「観客を飽きさせない。ロジャー・コーマン(膨大な数のB級映画群のプロデューサー/監督で、多くの監督、俳優が彼の許で映画を学び巣立っていった)学校の生徒であるコッポラには、その根っこがあるんです。だから、編集技術がすごく上手い。だから約3時間(177分)の映画が1時間半ぐらいにしか感じない。上映時間3時間なんて、当時のハリウッドではまずありえない。だから、2時間版もコッポラは作ったそうです。しかし、それを観たプロデューサーは“これは予告編かい? 全長版にしようよ”と言ったそうです。それだけテンポがよかった、ということですね。話芸にリズムがあるといけちゃう。『ゴッドファーザー』の編集には、ハリウッドの大作にあるような“ため”がない。ちょっとコミックなシーンがあると、お客さんは笑うでしょう? お客さんが笑い終わってから次のシーンにいくのが、それまでのハリウッドの基本の編集術だった。でも、僕なんかもそうだけど、観客が笑っている間に次のシーンにいく。もし次のシーンが怒りのシーンであっても、笑いと怒りが一緒になることで“劇”が生まれる。これがフィルムメーカーと言われた新しい世代の作劇なんです。コッポラの作劇も、ひとつのシークエンスが終わってないまま、その情感が次のシークエンスの情感と不協和音を起こす。コッポラの編集は不協和音を起こさせる編集。それが描かれたドラマだけではない、もっと深いドラマに拡げていく。複雑な感情のドラマを作ることにも成功しているし、同時に、観客はひと息つくヒマがないから、身を乗り出したまま、最後までいってしまう」

 

 さらには脚本の巧みさ。
「コッポラは脚本も上手い。これはいまの若い監督にも学んでほしいんだけど、画コンテだけ描いて作った映画とはそこが違うんです。コッポラが、これだけ乱暴な作り方と、酷い条件のなかで成功したのは、やっぱりシナリオが書ける男だったということ。コッポラは時間軸の編集の上手さも含めて、映画全体を構成する――つまりコンポジションとメッセージをどう伝えるかということが、うまく出たんだと思います。『Ⅱ』はまさにそうでしょう? 過去と現在の不協和音。それが結果的にサーガになった。ハリウッド的なストーリーテリングのドラマツルギーを超えて、“感情”の映画になっているのは、確固たるシナリオのコンセプトと“ため”のない不協和音だらけの編集があったからですよ。雑然と混沌ですよ。整理整頓じゃなくて」

 当時33歳の「若造」だったコッポラは、作家主義の映画作りを押し進めた結果、監督を降板させられる危機にも陥ったと言われている。
「コッポラは闘ってるんです、普通だったら諦めてしまうところを。新米のコッポラだったから、降りないで頑張った。最後まで粘って、自分の映画を撮った。プロデューサーたちはコッポラを降板させて、エリア・カザンに撮らせようとしていた。するとマーロン・ブランド(カザンの『波止場』でブランドはオスカーを奪取した)がそれを嫌がった。エリア・カザンの下では、また自分は言われる通りにやるしかない、コッポラとなら、好きなことができる、と。これが面白いところですよ。ブランドが“コッポラを降ろすなら、オレも降りる”と、強情を張って、それでコッポラを守った。でも、成功するって、そういうことなんですよ。映画って、いろんな条件が集まってできちゃうわけだけど、その条件が悪く働いて失敗するのではなく、稀にその条件がうまくいくってことがあるんですよね。その1本が『ゴッドファーザー』なんです。そういう意味では奇跡の映画。自分の自由にできない、でもやりたい。そのことがエネルギーになっている。アクションってね、画面に描かれたものだけじゃなくて、画面外の“アクション”が映画を活性化するんですよ。ロマンチックなファミリー映画のように見えるけど、画面外のアクションを、この映画はアクションにしているんです」
『ゴッドファーザー』は映画史において、ひとつの時代の終わりであり、新しい時代の始まりでもあった。
「僕らの世代にとっては、最後のハリウッド映画だけど、ここから映画を生み出していった人がいるわけです。端境期っていうのは、めちゃめちゃな混沌があるわけでね。混沌を捉える能力があると、何かが始まるんですよ。コッポラは、かつてのハリウッドが終わりゆくときに、リアリズムでもなく、夢でもなく、これは“私のマインドだ”というふうに撮った。だから成功したんですよ。それにしても、こんな映画は二度と作れないでしょうね。そういう意味でも映画的興奮がある名作です」

Text●相田冬二 Photo●利根川幸秀

PROFILE
大林宣彦
1938年、広島県生まれ。'77年の『HOUSEハウス』で劇場監督デビュー。'82年の『転校生』に始まる“尾道三部作”で人気を博す。'04年春の紫綬褒章受賞。最新作『この空の花−長岡花火物語−』が4月に新潟、5月に東京で、以後全国順次公開。
ゴッドファーザー PARTI <デジタル・リストア版>

(「パラマウント100周年記念厳選20作品DVD BOX(初回生産限定)」収録作品)

STORY
1947年。マフィアのドン、ビト・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の屋敷内で末娘コニー(タリア・シャイア)の結婚式が行われた。コルレオーネ家の一族、「ファミリー」と呼ばれるマフィア組織の面々ら総勢数百人が会す壮大な挙式だった。邸内の、ブラインドが下された書斎で、タキシード姿の右胸に血のような真っ赤な薔薇をさしたビトが、訪ねてきた友人の嘆願に耳を傾けていた。自分をすがってくる者には愛と権力、知力で十分に報いた。それがドン、〈ゴッドファーザー(名付親)〉としての義務、尊厳であった…
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